• 昭和56年1月18日生まれ。青森県八戸市出身。父親が転勤族だったため、茨城、山形、岩手などを経て、小学校4年で八戸に戻り高校卒業まで八戸で暮らす。現在は横浜市在住
  • 平成15年 創価大学法学部卒
  • 平成18年 同大学法科大学院修了、司法試験合格
  • 平成19年 弁護士登録
  • 平成24年9月 参議院神奈川選挙区にて公明党公認
  • 平成25年7月 参議院選挙で初当選
  • 令和元年7月 参議院選挙で当選(2回目)
  • 文部科学大臣政務官、参議院厚生労働委員会、法務委員会、決算委員会の理事を歴任
  • 参議院法務委員長
  • 公明党青年委員会副委員長、女性委員会副委員長、女性局長、神奈川県本部代表代行
  • 身長:167cm
  • 家族:夫、長男
  • 趣味:音楽鑑賞(洋楽系)、スキー、スノーボード、お菓子を食べること
  • 性格:親友によると「涙もろくて義理堅い」
  • モットー:根性と忍耐
  • 尊敬する人:両親、上杉鷹山、ローザ・パークス

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青森の港町、八戸で生まれました。生まれた当初のわが家は貧しく、冬はすきま風で布団に霜がおりるような粗末な家でしたが、両親は共働きをしながら懸命に姉と私を育ててくれました。

小さなころは、秘密基地をつくったり、男子対女子でケンカをしたり、身体を動かすのが好きで男勝りな女の子でした。また動物が大好きで、ひよこやハムスター、猫など、さまざまな動物を飼っていました。獣医になりたいと思っていた時期もあります。

父が転勤族で、小学校は3校通いました(米沢、釜石、八戸)。転校後、クラスになじめず、数カ月学校に行けない時期もありましたが、それでも学級委員に選ばれたり、バスケットボールを始めたり、それぞれの学校で楽しく過ごすことができました。

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中学でも、小4で始めたバスケットボールを続けました。英語が好きで、洋楽を聴いたり、テレビで米軍基地向けに放映されている番組を見たりしていました。また、友達を家に呼んで、手づくりのお菓子でもてなすのが好きでした。相手が喜んでくれることが、とにかく嬉しかったのを覚えています。

勉強は好きでしたが、人と成績を比べるのが嫌いで、順位などを気にしたことはありません。自分が努力すれば、その分だけ自分に力がつく。どうせ比べるのなら他人でなく、昨日の自分と比べて成長できたかどうか。これは今も私の信条です。

進学の際も、成績や偏差値、ネームバリューにこだわることに反発を感じていました。いま考えると浅はかだった気もしますが、権威、権力、有名大学というものに反発を感じていた時期です。

政治権力の矛盾、環境問題、核戦争の危機など、地球規模の問題を解決できるようになりたいと思ったのも、この頃です。それが政治家への道につながるとは、当時考えてもいませんでしたが…。

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家族や知人の勧めもあり、国際交流が非常に盛んで、「学生第一」の理念を掲げている創価大学に進学しました。しっかり勉強したいと思い、クラブも『国際連合研究会』に入りました。

国際政治や民主主義に興味を持ち、海外の著名な学者の著書をあれこれ読んでは、友人と議論しました。また、学生シンポジウムに参加し、政治や選挙に参加せず批判だけするのは無責任だと話したときに、他校の学生や教授が感心していたことが印象に残っています。

国際政治や経済学などにも興味がありましたが、最終的には、社会の基盤となる法律を勉強し、それを武器に人々を守れるようになりたいと、司法試験への挑戦を決めました。大変厳しい試練でしたが、同じ志の友人たちとつねに励まし合いながら、何とか乗り越えることができました。

 

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弁護士として働いていたときに心がけていたのは、3つです。どんな案件であろうと必ず全力をつくすこと。最後まであきらめないこと。そして、依頼者と心を通わせることです。

たとえば、家を出てしまった夫に対し、もう一度戻って子どもたちと家族の生活をやり直してほしいという妻からの依頼。不仲となってしまった原因をさかのぼって一緒に考え、依頼者自身も変わらなければならないことを粘り強く伝えました。最終的には夫の心を動かし、元の家族に戻ってもらうことができました。

また、資金繰りや借金の問題で、死の寸前まで思いつめて相談に来る方。年金も仕事も得られず、今日食べるお金に困っている方。ほかにも交通事故や薬害、少年事件などで苦しむ方々にも接してきました。そうした方々の弁護を重ねる中で、行政の柔軟な対応や細やかな法整備、もっと生活者に則した社会制度の必要性を感じるようになりました。

そして大きな人生の転機となった東日本大震災。被災後まもない頃に、岩手の釜石・宮古で開かれた弁護士、税理士による相談会に参加しました。一瞬にして家族や財産を失った方々を前に、既存の法律の解釈では対応できない問題が多く、政治の迅速な対応の必要性を強く感じずにはいられませんでした。